豆腐小僧の随筆

気ままに書くよ

感想文:インタビュー・イン・セル 殺人鬼フジコの真実 著:真梨幸子 出版:徳間書店

殺人鬼フジコの衝動の続編です。

前作も今作もほんまにイヤミスがすごい。

なんなら、私的には今作のほうがぞっとしたし読後感悪い。

 

私は基本的にはハッピーエンドが好きなんだけど、ミステリーに関してはイヤミスも読みます。でも、読んだ後に窓から誰かが入ってくるんではないか、とか、急に襲われるのではないか、とか、すごい色々変な妄想をしてしまう。

あと、すごい気力を使うので読み終わった後の疲労がすごい。

 

登場人物が起こす作中での事件が、えげつない内容やな、って思うのに、リアルさを同時に感じるってことが怖い。今私が安全に暮らせてるのって奇跡なのだな。

 

前作の不明点も解明されていて、これは絶対に前作を読んでからのほうがより話に入り込めると思う。

 

あー、怖かった。

 

感想文:春にして君を離れ 著:メアリ・ウェストマコット(アガサ・クリスティー) 出版:早川書房

哀しく残酷な物語。

少しネタバレになるかもしれません。

 

一人の女性が自分の今までの人生を振り返る物語。

この女性の人生で、こんなに自分のことを考える機会は二度とない、と思う。

誰しも自分の人生を振り返り、反省する。この人は今までそれをしてこなくて、自分の世界の正解しか他人と自分に認めてこなかった。

 

気が付かなければ、きっと、一生幸せ。それなら、それでよいのかもしれない。

けれど、大切な人からの愛情や信頼や尊敬は、きっと一生手に入らなくて、それにも気が付けない。そして、それはこの女性以外は全員知っている。

 

夫は、この女性と向き合い続けるべきであったのではないか。それとも、それは結婚という契約で決められた以上のことであったのか。

子どもたちは、きっと、この女性が自分たちへ一生懸命なことは理解していたと思う。だからもう、この人にはそれ以上は望まず、夢をみさせることにしたのか。

この女性が大切に思う人たちは、愛や信頼や尊敬の代わりに夢だけを与えることにしたのか。

それは、とても残酷だなと思う。だって、この女性の本当に欲しかったものは、きっと、それらであったのではないだろうかと思うからだ。

 

他人の評価は関係ない、自分の人生の成功・幸せは自分が決めていいと思う。でも、もし夫に先立たれたら、この女性は、今後の自分の人生のどこに自分の価値を見出すのだろう。

他者と比較して自分を優位に立ててきたこの女性が、どうやって、独りで生きていくのだろうか。

恐ろしいくらい、哀しい物語でした。

 

アガサ・クリスティーというから、ミステリーな要素も入るのかと思っていたけれど、ただただ女性の回想で物語が進んでいく。

全然テイストが異なっている。わくわくもしないし、誰も死なない。別名義での出版に納得できる。

でも、ページをめくる手は止まらなくて、さすがアガサ・クリスティー

自分自身を知ること、受け入れること、相手に赦してもらうこと、自分を赦すこと、今後の人生をどう生きていくのか。

これらは、昔から問われ続けていることなのだな。

 

 

 

感想文:鏡の国 著:岡崎琢磨 出版:PHP研究所

「美しい」ことが必要な世の中に哀しみ・苦しみを感じる物語。

ミステリーではあるが、私はそう感じた。

 

時代設定がすごくよかった。過去だけど今で、今だけど未来。登場人物は私と同世代なのに、実は同世代ではなくて。全てがミステリーとして必要な要素だと感じた。

読みやすくて、一気読み。ミステリーとしても素晴らしいけど、ルッキズムに関してもすごく丁寧に描かれていると思う。

 

この本を読んで全く共感できない人は、世の中にいないのではないだろうか。

「かわいい」「きれい」そういわれることは嬉しいし、そうありたいと思ってしまう。

「かわいい」「きれい」は目に見える幸せで、評価だ。

(同じ点では「若さ」も入るだろうが、今回の作品においては「美」が基準のため省略する。)

今は道を歩く人すべてがきれいな時代であると思う。メイクも服もスタイルも、「かわいい」と「きれい」が溢れすぎていて、そうではない自分がおいていかれて嫌われていくような気持になる。

私自身、きれいな顔の人をみると「きれいだな」「かわいいな」と男女問わずに思い憧れる。私がしている運動も心掛けている習慣もいらないのに、少しのメイクでどうしてこんなにかわいいんだろう、どうしてスタイルがいいんだろう、と友人に対して劣等感を感じることもある。

「美」で人を見てしまう自分に嫌気がさすことも多い。

でも、本当は、「私」を見てほしい、とすべての人が思っているのではないだろうか。

 

「美」に限らず、生きているために得ていないといけないと思われていることが多すぎる。

身内、友人、学歴、パートナーとの愛、お金、賢さ、コミュニケーション能力 などなど。

全て目に見えないのに形になった幸せ。その幸せを持ってないと、自分をみじめに感じたり、相手を哀れに思ってしまう。

「不足している存在」だと自他ともに思ってしまう。

 

本に登場する精神科医の言葉を読者に伝えたくて、この話を作者は書いたのではないだろうか。この医師の言葉は、私が人生をかけて得た私への価値を肯定してくれた気がして、すごく嬉しくて涙が出た。

以下は、その言葉を私なりに解釈したものである。

 

私たちは、一人一人がかけがえのない存在だ。他人が持っているものを欲しがる必要はなくて、他人にうらやましいと思ってもらう必要もない。他人に自分の価値を決めてもらわなくても、自分自身で自分の価値を決められる。

 

皆が当たり前のような顔で手に入れている幸せに、嫉妬していた。だからこそ、他人とは違うようなことをして、私も幸せなのだと他人に見せつけたい気持ちがあった。

でも、本当は、私は私自身の価値を知っている。すごく頑張って生きてきた。これからも大変なことはあるけれど、私なら絶対に私を幸せにできると知っている。

そのことを知るまでに、たくさん悩んできた。

いまだに同世代に嫉妬する。私も幸せなのだと強がる気持ちも捨てきれない。

でも、それでも、私自身と私の人生は素晴らしいと思える。

 

今だけれども未来である日本に、作者の希望が少しだけ見えるような気がした。

 

最後に、精神科への理解と受診について。

精神科・心療内科、への受診や診断を怖がらないでほしいです。

心はみえない分、すり減らすことが容易いです。「まだ大丈夫」「私がそんなわけない」。その状況を自分の大切な人がしていることと仮定してほしい。その状況で「お前ならいける。まだ大丈夫」と言えますか?

「自分自身は、自分にとって大切な人」です!!

どうか、自分自身を幸せにしてあげてください。

 

 

 

曲名:満ちてゆく 歌手:藤井 風

この曲は、私にとって、祈りと赦しの曲です。

 

私は、祖母が亡くなってから今までずっと祖母に懺悔してました。自分を責め続けていました。夜に思い出しては眠れなくなったり、昼も夜も一人になると泣いて懺悔して自分をずっと責めたてていました。

 

ごめんなさい。傷つけてばかりでごめんなさい。

守れなくてごめんなさい。祖母の笑顔の記憶より、私が祖母を傷つけた記憶のほうが多くて、祖母の覚えてくれていた最後の私はどんな顔だったのだろうか。

ごめんなさい。赦してほしいと思ってごめんなさい。

今なら、私は祖母に色んなことができるのに、どうしてあの時できなかったのに今はできるのか。どうして祖母を助けられなかったのに、私は他の人を助けようとしているのか。ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。

 

祖母が愛しくて泣いているのか、祖母がいないさみしさで泣いているのか、どんなに懺悔しても祖母に届かないことに泣いているのか。

どんなに懺悔しても、誰も赦してくれないことに、泣いているのか。

わからないけれど、もしかするとすべてが混ざって泣いていたのかもしれません。

 

この曲を聴いて、やっと、懺悔を終えてもいいのかと思いました。

荒れた日が多くて、晴れている日は少なかったけれど、あの日々に愛がなかったわけではなかった。私は祖母が大切でした。

 

祖母がまだご飯を食べていた時、まだまだ長生きすると保証もなく私が思っていた時、最後に元気な祖母と会った日。

私は祖母に何回も「ありがとう」と伝えました。

私はずっと、祖母に「ごめんなさい」と言えなかったことが苦しかった。あの時が最後のチャンスだったのに、「ありがとう」しか伝えなかったことが、まだ自分が幼かったから仕方ないと自分の行為を正当化して祖母を傷つけたままだったように思い、苦しかった。

 

この曲を聴いて、最後に伝えられた言葉が「ありがとう」でよかったと思えました。

もう、懺悔を手放して、祖母に「愛をたくさんくれて、育ててくれてありがとう」と思えます。

 

感想文:酒寄さんのぼる塾生活 著:酒寄希望(ぼる塾) 出版:ヨシモトブックス(発行) 株式会社ワニブックス(発売)

私はぼる塾の田辺さんが好きです。

独特な話し方に大きく変化するわけではない表情、丸まるとした体格。

観てるとなんだか癒されるのです。

 

田辺さんのことを知るうちに、ぼる塾は4人だということを知りました。

というか、私は田辺さん以外にぼる塾のメンバーをよく知りませんでした。

田辺さんを知るうちに、ぼる塾のことも知るようになりました。

そんな中、私はテレビには出ないけれどもメンバー全員が愛してやまない「酒寄さん」という人物がとても気になるようになりました。

 

酒寄さんの文体に似た感想文になった(笑)

この本の前作は読めてないけれど、酒寄さんのnoteやリレーエッセイ?はけっこうな頻度で読んでる。

酒寄さんは、日常を切り取るのがうまい!そして、嫌みなくメンバーの面白いところを淡々と書いていて、読んでて声出して笑った。

田辺さんって本当に優しいな。その優しさを丁寧に書き出せるのは酒寄さんも優しくて、そして、田辺さんのことをとても好きだからだと思う。

大きな悩みとか辛さを相談できるだけでなく、日常の些細な不安とか感じた事とか楽しかったこととかを言いあえる相手のいる田辺さんと酒寄さんは、ちびまる子ちゃんのまるちゃんとたまちゃんみたいでうらやましい。

酒寄さんは、何度も人との会話を練習してやっとコミュニケーションをとれるほうだったらしいけど、そんな酒寄さんが田辺さんに話しかけて今がある、っていうのが、本当にすごく素敵。やー、こりゃ運命の出会いだよ。

あんりちゃんもはるちゃんも、酒寄さんをすごく尊敬しているのが分かる。

酒寄さんは、素敵な仲間がいて、自分を受け入れてくれるパートナーと自分をめちゃくちゃ愛してくれる子どもがいて、すごく恵まれているな。

 

酒寄さんにとっては生活の一部になっているぼる塾生活は、私にとってはフィクションの物語だと感じるくらいに愛に溢れているように思う。

自分はぼる塾にいらない存在、とか絶対に思わないでほしい。私は、酒寄さんのファンだから、「ぼる塾にいらない存在」なんて、酒寄さん自身の言葉であっても、私の大好きな酒寄さんの悪口言わないでほしいと思っちゃう。悲しすぎるから。

読み進めると、酒寄さんがどんどん自分を肯定したり素直に相手の好意を受け取れているような気がして、これは酒寄さんの成長生活でもあるのかなって思いました。(何様やな、すみません)

 

私は酒寄さんに似ている部分があった。

自分を被害者に勝手にする。でもそれって、自分を大切にしてくれてる相手を加害者にしてしまってるんだなって最近になってようやく気が付いた。

私がめそめそ泣いてた時に、慰めてくれようとしてくれた人を加害者にするなんて、本当にひどいことしてた。めそめそ泣ける時って、誰かが戦ってくれてたり慰めてくれようとしてくれてるんだよな。

私は経験上、自分の身を守らないといけなくて誰もまじで助けてくれない時、めそめそすらできないから無理やり戦ってた(笑)

 

私の生活には、田辺さんもあんりちゃんもはるちゃんもいないけど、お花見や旅行したり、英語を教えてくれたり、誕生日を祝ってくれたり、ご飯やカフェに行ったり、会社に行けなくなったときに話を聞いてくれたり、私が背負っている重荷の話をきいてくれたり、そんな大切な人たちがたくさんいるのです。

そんな人たちのおかげで、私はこの瞬間を生きててよかったと思えます。自分が好きだと思えるようになりました。

今の私の生活は、あの時に思い描いていたフィクションのように穏やかだ。

自分すら大嫌いな自分であったときにも、利益関係なしで仲良くしてくれたり助けてくれる人がいて、今もなお自分の人生を分けてくれて関わってくれていることを忘れずにいたいな。

まだまだ自分の機嫌を相手に押し付けたりするところがあるから、精進しなくては。

 

私は田辺さんのファンでもあるので、田辺さんについても書きたい

田辺さんすごいよね。めっちゃ田辺さん出てくる率高くて、酒寄さんの田辺さん愛が伝わってきた。お互い大切な存在なんやろな。

田辺さん、コンビ時代からずっと優しい人じゃん。慰めの言葉がぜんぜん押し付けがましくなくて、事実から「それができてるんだから駄目じゃないよ」って言ってくれてて、慰めのプロかよ。見習いたい。

でも、酒寄さんのランチを勝手に決めてたな。押しつけのつり合いとれてるな。すごい。

「田辺の和室」も「食べるわよ!」も大好き。癒されるわー。

 

田辺さんに会って「大好きです!」って伝えて一緒に写真撮りたい。酒寄さんとも。

 

 

 

 

 

 

感想文:巴里マカロンの謎 著:米澤穂信 出版:創元推理文庫

懐かしい!と思って手に取った小市民シリーズ。

最後に読んだのは、おそらく主人公とあまり年齢が変わらない時であって、その時確か新刊を待ち望んでいたなあ、と思い出しました。やっと叶いました!

もちろん話が好きなのもあるけれど、この小市民シリーズの絵がとても話にあっていて好きなんだよね。

そして、2人が言う小市民とはなんなのか、私は10年以上前から気になっている。それが気になるのは私が小市民の証(笑)

 

結構人が死なないミステリーも好きなんだけど、そんなミステリーは時折人が死ぬミステリーより悪意に満ちているときもある。平和なものが多いではあるけれども。

この本を読んだら、日常に悪意とか敵意は実は潜んでいるのよね、と感じる。

それは表面に出てないだけで、きっとみんな持っていて、ふとした瞬間にあふれるときがある。

確かに、この悪意や敵意を得意げに解き明かすことを第三者がやることではないな、と思うし、でも、傷ついた人もいる。けれど、その人自身も自分に対して悪意を持っている人がいるのを受け止めるのは、悪意の標的になるより、きつい時もあるのでは?

表面化したものを知って幸せになる人がいない時もあるよね。

私が、悪意をぶつけられてその悪意の原因をわからない時、何が何でも知りたい!と思って分かった結果が自分にとって苦しいものであったら、どうするだろう。

探偵を憎むかもしれないなあ。あら、悪意が連鎖してる。どうしたものやら・・・。

 

2020年に11年ぶりに新刊が出ていたみたいで、その時は読書から遠ざかっていたので知らなかった。去年くらいに出たのだとばっかり(笑)

タイムラグを感じない、小市民シリーズすごい!

調べると、なんと今月下旬に新たに新刊発行らしくて楽しみです。

 

感想文:神さまを待っている 著:畑野智美 出版:文藝春秋

1文1文が、とても痛いです。

この痛みは、刃物で一気に傷つけられる痛みではなくて、紙とか段ボールとかで指を切った痛みに似ている。シュッと切られたくせに血は出なくて、でもずきずきと痛む。そんな痛みに似ている。

 

貧困女子の物語。

でも、これは「家族が神さまではない人」の物語でもあるのではないだろうか。

「人に頼れない」のではなくて、「自分だけで生きていかないといけない」と考えてしまう、女性の物語でもあると思う。

 

なぜこんなに痛いのか。それはきっと、これは、「私の物語だ」と感じながら読むからだ。読み進めるたびに、浅くなる呼吸に気づいて深呼吸をしたり、涙と嗚咽をこらえないといけなかった。私は主人公の気持ちが全てではないが、わかる。

正社員にこだわるのは、自分で自分を守れる状態でいたいから。誰にも助けを求めなくてもいい状況を作りたいから。

助けを求めないのは、それが当たり前だから。少しでも、自分の状況が人と違うなんて思いたくないから。

 

恵まれた人生は、お金があることが一番ではない。

生まれたときから「家族全員が神さまである」人のことだ。

私は、そんな「神さまに囲まれて」育った同世代の人たちがうらやましい。

 

私は運がよかった。「神さま」に気が付くことができた。

だから、主人公の状況にならずに済んだだけで、きっと「神さま」がいなければ、同じ状況に陥っていたと思う。だから、とても痛みを感じたのだろう。

「神さま」のおかげで、「人に頼らないことや自分を傷つけることは、自分に関わってくれている人を信用していないことと同じで、それは自分が相手を傷つけている」ことなのかもしれないと思えるようになった。

人に頼ることは、「自分に責任を持てない」ということではない。

頼れる人がいるのは、それは、私自身が頼れる人を作ってきた証で、それも含めて自立なのかもしれない。

 

貧困、一人親家庭、ヤングケアラー、引きこもり、機能不全家族etc.

名前をつけてわかりやすくしているのに、逆に、そのつけられた名前が、自分自身の状況の線引きになってしまっている気もするのです。

どうか、家族の問題を、「あなただけが苦しいわけではない。どの家族にも問題がある。話せばわかりあえる。」と第三者が言わないでほしい。

「私は相談してもいいし助けてもらってもいい状態なんだ。」と大人も子どもも誰でも事実として知ることのできることは必要だと思う。

正直、教えてくれても、生きることに精一杯でそれが当たり前だと思っているから気づけるかはわからないが、誰か教えてくれたら良かったなと、あの頃を思い出して思う。

 

「神さま」は、きっと身近にいて、それに気がつけないだけなのかもしれない。

それに気づきたいし、きっと、誰にでも「神さま」はいると信じたい。

皆が「神さま」はいるのだと信じられる。皆が「神さま」に気が付ける。

そんな世の中になってほしいと心から願います。