中島みゆきさんは、母の影響で好きです。
でも、実はあまり曲は知らなくて、誰でも知っているものしか知らなかった。
この曲を知ったのも、最近。
生きる上での苦しみはたくさん味わってきたし、乗り越えてきた。そのうえで、今まで、自分は一人でも生きていけるし、そうでないといけないと思っていた。
出会う人がいい人ばかりだから苦しい時には助けてくれる。でも、友人らにずっと助けてもらうことは申し訳ないし、結局立ち上がるときは自分が力を入れないといけない。甘え続けることも、ましてや、自分の人生の問題に巻き込むことなんてできない。
親すら、私を1番たくさん愛してくれたわけじゃない。子どもを平等に愛する人だし、手のかかるやつに時間を与えないといけない。私だけを見てくれる、この人なら寄り添い続けてくれると思える特別な存在は、私には、与えられない人生だからと割り切って、一人でも楽しくたくましく生きていけるように準備をたくさんして、それができていたのに。
一人は気楽で、生きやすいと思い込むことができていたのに。
夜に「今、私は世界でたった一人なんだ」と孤独感が襲ってきても涙がでてきても、『大丈夫、私なら大丈夫。今までだって、たくさんの苦しい孤独な夜を乗り越えてきた。私なら大丈夫。』と自分に言い聞かせて、何とか自分をなだめてこれていたのに。
でも、とある出来事が心をじくじくと痛め続けている。今までとは違う、初めての痛みと苦しみを味わって、一人で生きていくことに限界を感じた。人生に躓いてしまった。自分に絶望した。今までの自分から変わってしまうから。
そんな状態の時に、この曲に出会ったのは、幸運だった。
この曲の一番は、まさに私のことだった。
どんなに苦しくても、悲しくても、生きてることに絶望しながらも、一人で生きていけると思っていたけど、本当は全部強がりで、重大なことには身体も心も全部使って立ち向かえるけど、些細なことには簡単に簡単に躓いてしまう。
躓いたら、泣いて、泣いて、さみしくて、苦しくて、たまらない。
こんなものにすら躓くのかと、たまらない気持ちでいっぱいになる。
でも、本当はこんなものじゃないから躓いていて、涙が止まらなくて、一人で生きることが自分の望むことではないのだと、一人で頑張るのは、もう、疲れた。
本当は、誰かと生きる人生にあこがれている。
誰かとなら、人生は今よりもっと生きやすいかもしれない。
そう思うために味わっている苦しみなら、むなしくもなくて無駄でもなかったと信じたい。
生きることが苦しくて一人で泣いてきたけど、涙がでるのは生きるためだったのね。
誰かの隣で泣きたい。泣き止むまで、離れずに、なにも言わずに、涙をみてないふりして、何もしなくていいから隣にいてほしい。そしたら、私は立ち上がれるから。一緒に前を向けるから。
この曲は、今までの私もこれからの私も全部肯定してくれる。
生まれてきてありがとう、よりも、「産まれてくれてwelcome」って息がしやすい気がする。ありがとう、は、こんな自分になぜそう思うの?って思うけど、ようこそ、は、生きることを受け入れてくれる気がする。
たくさん愛をもらって生きていることを忘れそうになるから、一人で生きそうになるから、一人で生きてきたのだと思いそうになるから、そんな時は耳を澄ませて、この曲を聴きたい。