豆腐小僧の随筆

気ままに書くよ

感想文:神さまを待っている 著:畑野智美 出版:文藝春秋

1文1文が、とても痛いです。

この痛みは、刃物で一気に傷つけられる痛みではなくて、紙とか段ボールとかで指を切った痛みに似ている。シュッと切られたくせに血は出なくて、でもずきずきと痛む。そんな痛みに似ている。

 

貧困女子の物語。

でも、これは「家族が神さまではない人」の物語でもあるのではないだろうか。

「人に頼れない」のではなくて、「自分だけで生きていかないといけない」と考えてしまう、女性の物語でもあると思う。

 

なぜこんなに痛いのか。それはきっと、これは、「私の物語だ」と感じながら読むからだ。読み進めるたびに、浅くなる呼吸に気づいて深呼吸をしたり、涙と嗚咽をこらえないといけなかった。私は主人公の気持ちが全てではないが、わかる。

正社員にこだわるのは、自分で自分を守れる状態でいたいから。誰にも助けを求めなくてもいい状況を作りたいから。

助けを求めないのは、それが当たり前だから。少しでも、自分の状況が人と違うなんて思いたくないから。

 

恵まれた人生は、お金があることが一番ではない。

生まれたときから「家族全員が神さまである」人のことだ。

私は、そんな「神さまに囲まれて」育った同世代の人たちがうらやましい。

 

私は運がよかった。「神さま」に気が付くことができた。

だから、主人公の状況にならずに済んだだけで、きっと「神さま」がいなければ、同じ状況に陥っていたと思う。だから、とても痛みを感じたのだろう。

「神さま」のおかげで、「人に頼らないことや自分を傷つけることは、自分に関わってくれている人を信用していないことと同じで、それは自分が相手を傷つけている」ことなのかもしれないと思えるようになった。

人に頼ることは、「自分に責任を持てない」ということではない。

頼れる人がいるのは、それは、私自身が頼れる人を作ってきた証で、それも含めて自立なのかもしれない。

 

貧困、一人親家庭、ヤングケアラー、引きこもり、機能不全家族etc.

名前をつけてわかりやすくしているのに、逆に、そのつけられた名前が、自分自身の状況の線引きになってしまっている気もするのです。

どうか、家族の問題を、「あなただけが苦しいわけではない。どの家族にも問題がある。話せばわかりあえる。」と第三者が言わないでほしい。

「私は相談してもいいし助けてもらってもいい状態なんだ。」と大人も子どもも誰でも事実として知ることのできることは必要だと思う。

正直、教えてくれても、生きることに精一杯でそれが当たり前だと思っているから気づけるかはわからないが、誰か教えてくれたら良かったなと、あの頃を思い出して思う。

 

「神さま」は、きっと身近にいて、それに気がつけないだけなのかもしれない。

それに気づきたいし、きっと、誰にでも「神さま」はいると信じたい。

皆が「神さま」はいるのだと信じられる。皆が「神さま」に気が付ける。

そんな世の中になってほしいと心から願います。